yzb’s diary

仕事と禅と病気(ガンサバイバーです)

座禅する目的

以前、ちょっと読んだ本に、「座禅をするのは何かを得ようとして行うものではない。頭をはずして横に置くとでも思え」というのがありました。一時納得したものの、すぐに、無目的にやって何の意味があるのか?とずっと悩んでいました。
悩んだ結果、自分の解釈として、グルグル回っている無駄な思考を一旦止めて、心の中の自分と向き合いなさい、そうすれば何かが見えてくる。。ということなんだろうと思っています。
そもそも、目的もなしに修行なんてできるはずはなく、かといって、何かを得るためというのも、これは欲(現世的な欲望)であると。座禅することで、気づき、あるいは、少なくとも安らぎは得られるわけで、これはやはり得るということですよね。だから、何かを得るためではないというのは、仏教得意の方便というやつで、“何かを得たいため”という思い自体は囚われていると批判されこそすれ、やはり、結果として何かプラスにはなるわけだろうと思う。