yzb’s diary

仕事と禅と病気(ガンサバイバーです)

本ブログの目的

いま60で技術系(IT関連)の普通のサラリーマンですが、自分はいつまで勤めれいられるか、いつまで健康か、これから先何があるのか、わからない。これから先分からない中、何に価値を見出すか?軸足はどこにあるべきか??を考えています。
競争社会が激しさを増し、貧富の格差が広がっているだけでは?と思われ、決して生活満足度というか、生きていて良かったと思える世の中になっているのかどうか疑問があります。何に価値を見出せば、ゆっくりまったりと生きていけるのか?を考えたいと思っています。要するに、いろんな外乱の影響をなるべく受けず、楽に生きるための手立てを自分なりに模索しています。
(そうでないと、いつも何かに追い立てられるような生き方、はたまた、劣等感や喪失感に苛まれながら生きている生き様にしからならないと思われ。。)

生き方を模索するヒントとして、yogaが挙げられます。yogaはブームでみんなもその価値(心身の融合、リラクゼーション)が広く知れ渡っているからまぁその通りで、それ以外に、過去の英知である仏教や、禅といった分野にヒントがあるのでは?と考えています。
特に仏教は自分にとっても葬式か法事ぐらいしか係わり合いがなかったのですが、生きる哲学として非常に示唆に富んでいるはずと思っています。(本来の英知がお寺の奥に入り込んでいるのが残念と思います)

というわけで、ヨガ、禅、仏教を結びつけてどのように考えれば、(すくなくともまずは自分は)どうやったら、ゆったり心静かに暮らせるのかを探って生きたいと思っています。

ブログのタイトルが夜船前夜と付けていますが、夜船は白隠禅師、前夜は前頭前野typoで造語でございます。

クラウドサーバ運用設計とかで食って来たけどフェーズチェンジとやらで、Webアプリの開発業務も入って来た。慣れない仕事でまたしんどい日々が。。最近はどうやってしんどい気持ちと折り合いを付けるかが一番の課題となっている。だから、仕事がしんどい=>どうしよう、、という記事がほとんど。

■追記

ここ数年、あれこれ考えながら過ごしてきて、こうするのが良いのではないかと思い至ったのでまとめました。興味があればどうぞ。自分の考えでしかないので、合っているか間違っているか?はご判断ください。  
正しい習慣(覚書) http://d.hatena.ne.jp/yzb/20110306

■追記(110430)
最初はヨガ、仏教、禅という感じでしたが、今はヨガやってなくて、もっぱら我流で坐禅をやっています。さらには茶道を始めました。禅と茶道は関連が深いので、両方で井戸を掘れたらという感じです。茶道は習っていますが坐禅は我流なので、一度坐禅会等に行って習わないといけないとは思っています。

■追記(111028)
最近は頭の中がお茶で一杯になっている。茶道は禅の影響を受けていると言われているので、茶道に精進すれば多少は禅にも近づける。。だろうか。。

■追記(121014)
お茶のお稽古も一年経って、段々と慣れてきて何を目指していいのかちょっと分からなくなってきている。身についたのか、あるいは分かった気になっているだけなのか。。家での坐禅はあまりやっていない。。これではいかん。それになんだかいろんなことに前向きになれないし、ちょっと投げやり気味だ。。

■追記(160827)
ここ数年前立腺マーカ(PSA)の値が高いので半年に一度PSAを測ってもらっていたけど、しっかり調べた方がいいとかかりつけのお医者さんに言われて精密検査を受けた。するとやはり前立腺ガンであることが分かった。まぁ前立腺ガンはそれほどたちの悪い方々ではないので慌てることはないけど、適切な治療は必要だ。というわけで、、人生、プチ投げやりになっている場合ではないのでした。

■追記(171103)
ガンの治療も終わってまた普通の生活に戻った。がん治療(前立腺摘除手術)はそれなりに大変だったけど、自分の人生を振り返り、いろんな事への感謝の気持ちを持つことができた。特に、、自力と他力、見えない縁ということに気付かされた。健康に戻って生活を始めると、またいつもの生活に戻った。いつものとは??仕事がしんどい。あれこれ気になってしょうがない。

■追記(20230731)
本日で定年となりました。定年になって毎日がフリーなはずもなく、再雇用でそのまま仕事が続くのでした。

家族との喧嘩

ちょっとしたことがきっかけで家族(長女)と喧嘩になる。普通の状態の戻したらいいのに、一旦腹が立つと戻すに戻せない(怒った状態から通常状態に戻すのが恥ずかしい。恥ずかしいから目を合わせない)

いつまでもこじらせているのは相手のせいだと考えているがそれは実は間違いで、自分の心の中の問題なのだ。自分の心の中の問題を相手に投影してしまっている。本当にありたいと思っている気持ちと、それを邪魔する気持ち、それらが葛藤している。ありたいと思う本心と、自分の本心を見えなくしてしまうもう一つの心。

たしかにそうなのだが、、周りは周りであれこれ言うからまた、自分も意固地になってしまうのであった。特にヨメから散々怒られている・・

あれこれこねくり回して考える前に、心を静めて本当はどうありたいのか常に立ち戻るべき。シンプルに考えるべきなのだ

心の筋トレについて考える(思索中)

体を鍛えるために筋トレが勧められるように、心を鍛えるための筋トレはあるのかを考える*1

インナーマッスル(深層筋)を鍛えると体の姿勢が正しくなるように、心を鍛えることで心の位置が正しくなるかもしれない。

正しい心の位置とは何か??自分が考えるのは、今・ここ・に集中できていること。昨日や明日のことを考えず、今居る場所に心があり、心と体が共にあること*2。さらに自分の奥底の気持ちが分かってくること(本当にやりたいこと、ありたい自分が分かっていること)。

心の筋力とは何か?? 心が、今・ここ・にあり続ける力を持っていること。心配事や腹立つ事に心を持っていかれそうになっても、「それはそれ」として、今・ここ・に戻ってこられること。ありたい自分を手放さずつかみ続けられる力

じゃぁどうやって心を鍛えるのか?? 何度も今・ここ・に戻ることを繰り返すしかないのでは。何もしていない時間を増やす。ながらの時間を減らす。何もしていない時間の中で、心は、今・ここ・にあるかを問い続ける。体に集中する。体からのメッセージを受け取る。だらか、、やっぱり坐禅なのかも。

*1:心を鍛えるのは心トレかもしれない

*2:できることなら、感謝と喜びの気持ちで毎日を送りたい。それはとても難しい

源氏物語を読んでみたい

源氏物語はいろんな所で取り上げられますが*1、まともに読んだことがありませんでした。古文で堅苦しくて退屈なんだろうとか、みやびすぎて読んでもよく分からないんだろうと思って読む気もありませんでした。12月号の芸術新潮源氏物語で、芸術の観点から源氏物語を解説されています(綺麗ごとの物語ではないと・・)。改めて源氏物語を知って、これは一度読んでみなくてはと思った次第です*2

青空文庫等から現代訳の源氏物語が無料で入手可能と思いますが、自分としては角川の源氏物語(ビギナーズ・クラシックス 日本の古典)が分かりやすいと思いました。古典を読もうと思った人がつまづきやすいと思われる所に対して、補強された文体で書かれています。また、文化背景も補足されているので、なぜ登場人物がこのような行動するのか?も多少は理解ができます。ただ、この本が源氏物語の全文なのかどうか?は分かりません。

最初の桐壺を読んだ段階ですが、源氏物語は場面設定が秀逸で、「そんなことしたらそら揉めるでしょう」というところから始まっています。わかっていない自分が源氏物語をキーワードで表現すると、「色恋沙汰+修羅場+人生模様」という感じです。原文はとうてい読めませんが、解説付きの現代訳のおかげで、平安時代の文化や習慣を理解しながら読み進められそうです。 まずは解説版で物語全体を把握してから、有名な作家さんの現代訳版を読んだり、原文に取り組んでもいいのでは?と思っています。

 

*1:源氏物語平等院源氏物語+須磨とか、そういう宣伝を聞いてもなんかよく分からないなーという感じでした

*2:芸新の表紙は桃山時代に作成された「源氏物語画帖;花宴

親からの連絡

両親とは最近ずっと連絡がなく疎遠だったのだが、終活等を考えてまた話がしたいと連絡があった。電話の向こうから、なんでそんなに不甲斐ないのかとグチグチと怒られる。仕事も定年で気楽に過ごしていたが、またストレッサーで心が不安定になる。相手の怒りにこっちからも怒りで返しても何も進展しない。自分は聖人ではないし強い人間ではないので、理想的なあるべきようには物事を進められない。できることとしては、自分がどうしたいのか、自分の奥底の心を掘り下げて、自分の声に従って進むしかない。親からおこられようとそれはそれ、仕方がない。

 

■追記

しんどいときは、、「よくやっているよ」と自分に言ってあげる、とりあえず外に出る、体を動かす、何か面白い物を見る、落語を聞く、おいしいものを食べる、気持ちから離れて体に集中する、呼吸に集中する、じたばたせずに寝る

心の持ち方

若いころはスーパーのご意見板(お客様の声ボード?)を読んで、なんでこんな細かい事に腹立てるのかと思っていた。が、段々と歳をとってきて、小さな事がチクチクしだして、小さい事にも段々と腹が立つようになってきた。ご意見板に書いていた人の気持ち(心の持ちよう)は自分と陸続きだと思うようになった。多分腹立ち度合いはさらに増すと思われる。昔から漫画に出てくるお爺さんといえば、偏屈じじいで機嫌が悪くて怒っているという描写が多いけど、あのまんまに自分は近づいている。これはマジで

簡単にはいかがないが、すくなくとも、こうありたいという心の持ちようは目標としておいておきたい。それは、、感謝すること、喜ぶこと、楽しむこと、笑い

残りの人生、すくなくとも他人のQOLを下げないようにと思ってるので、人には迷惑をかけないようにしたい。

コロナに感染して3日間寝た

家族の一人がコロナに感染して、それを受けて全員がコロナになってしまった。自分も38度の熱が出てしまい、3日間寝た。最初の頃はひたすらしんどくて、寝てるのか寝てないのかわからない状況だったが、体温が下がってくるとじっと寝ていられるようになった。コロナがはやり始めたころに比べると自分の感染したコロナ株は悪性が弱まっているはずで、それでもしんどかった。猛威を振るっていた頃に感染された方々の辛さをお察し申し上げます。

コロナ感染中はただひたすら寝ていて時間が止まっていた。時間が止まっていたからといって何か洞察を得たとかそういうことはなくただ3日分、72時間分の時間が溶けた。お仕事上のお約束等も飛ばしてしまった*1。それでもまぁ時間がたんまりできたので病中から平常を振り返って小さい気づきはあった。

最も大きいのは、、「ウイルスは自己複製だけしている利己的な存在ではない。むしろウイルスは利他的な存在である」という福岡伸一教授の説について、この記事を読んだ時はなるほど、そうかと納得したが、いざ自分がウイルスに感染すると、自分にとってコロナ感染は何もメリットがないではないか?とハラ落ちしないことのギャップであった。頭でわかったつもりでもいざ当事者になるとまったく納得できないというこのギャップ。自分の理解力がいかに薄っぺらいのかがよく分かった。記事を読んだだけでは知ったというレベルでしないと思い知れ俺ということろか。あるいは、実は感染して恩恵を被っているのに見識の狭さゆえに気づけていないのかも。例えば、病気になって初めて健康のありがたさを知るというのはよく言われる事で、数日間寝込んでいる時は、健康だった頃どこにでも普通に出かけられたのは実はありがたいことなのだなーと思い知りましたが・・これは風邪で寝込んでもそう思うわけで、、コロナが運んできた情報って一体何なんだろうと思うのです。。ですが、人は物語を作って物事を納得すると自分は思っておりまして、後から今日を振り返った時に、コロナに感染した意味を見つけるのかもしれません。

■追記

普段の生活に戻って気づいた変化点として、若干楽観的になった気がする。普段だったら、これどうするのよ(ズシーン)となるのだが、そうならない。なぜかはわからない。よく寝たせい? それとも高熱の体験をして身体意識が高まった??

 

■参考URL

「ウイルスは撲滅できない」福岡伸一さんが語る動的平衡:朝日新聞デジタル

*1:幸い「コロナだったらしょうがないですね」とは言ってもらえたが、リカバリ必要

これからやること

定年したけど、再雇用だ。だが、パートタイムなので多少時間はできた。やるべきこと

・喜怒哀楽のバランスが偏りつつあるので、心身バランスを整える取り組みを行う。具体的には坐禅か。楽しい事や楽しい時間を意図的にふやす。この際だから、お金を払って楽しい何かを手に入れるのも良しとしたい。

・猫背、腰痛が強くなりつつあるので、ストレッチや筋トレをして体のバランスを整える

・夜型の人間なので、朝型にシフトする。A43枚に書くというやつに取り組む

■進捗追記 (2023/10/15)

A4-3枚に書くやつはやらない(「すきなことをしなさい」本のアドバイス)

コロナに感染して、体温をマメに測っていると、そもそも自分の平熱が低すぎるのではと思うに至った。免疫力を上げる意味もあって、定期的な運動習慣をつけないとやばいのでは。病院に治療費払ったつもりでジムに行く? 自主的にトレーニングできたらいいけど、そんなマメさはないし・・

自分が楽しいと思えることをさらに掘り下げるべし

■追記

体温が36度以下の人は低体温に属するらしいです。自分は35.8℃だったりするので低体温だ。低体温の人は体温の低さに起因して体にいろいろ不都合が出やすいらしい。

本日で定年退社

本日(7/31)で今の会社が定年退職となりました。皆様のご支援のお陰でなんとか定年まで勤めることができました。ありがとうございます。ふり返ってみても、偶然というか、たまたまの連続だったと思っています。妻と結婚して、いままで夫婦が続いていますが、いろんな危機があった中で、たまたま良い方に進んだだけ、ガンが見つかったのも病院で先生が「年齢を考えると、そろそろガン検査しとく?」と声をかけてもらったから。。。その時々の選択がちょっと違っていたらまた別の結果になっただろうと思えるのでした。

入社以来、コンピュータ分野のエンジニアとして飯食ってきたのですが、感謝の気持ちで、次の世代にお返ししたいと思っています。ただ、、お返しの仕方をよく考えないと単に口うるさいジジイになるので、そこは注意が必要なのですが。

■追記

お返しの一手段として、1日だけプログラミング教室のスタッフとして働いています。予測不可能な子供たちから受ける刺激の方が強烈で、彼らには何も与えられていないかも。なんか知らんけど立ってるオッサンという感じかも。

心の持ち方とトレーニング

歳を取ってくると、喜怒哀楽のうち、怒と哀の感度が高まってしまう。若いころはどうでも良かったことが、歳を取ると流すことができず、いつまでもグズグズと引きずってしまう。

他人はコントロールできないとよく言われる事であり、コントロールできない他人が起因の怒と哀は、早く忘れる方がいい。だけどなかなか忘れられない。そもそも、他人起因で、怒ったりするところですでに考え方にバグがあるとは自覚している。

だったらどうしたらいいのか?? 坐禅等に時間をかけて、心が本来の正しい位置に居られるトレーニングが必要ではないか。これまでは仕事のストレスから逃れるために坐禅をしていたのだけど、、これからは、狂い始めた自分の心の軸を元に戻すために、坐禅に取り組むべきなのではないか。そうしないと、いつも何かに怒っている人間になってしまいそうだ