yzb’s diary

仕事と禅と病気(ガンサバイバーです)

京都国立博物館で開催された親鸞聖人生誕850年特別展

京都国立博物館親鸞聖人特別展が開催されており観覧してきた。

仏教画や坐像なども展示されていましたが、特に書がすばらしかった。書は人なりと言われますが、親鸞聖人がかかれた経典(観無量寿経註、阿弥陀経註)が展示されており、書を通して親鸞聖人とお会いできたような感覚になりました。時代は異なりますが、三十六人家集等の書もすばらしかった。よくぞ今まで残っていたと思える程の繊細で美しい作品でした。

ここで毎日の生活を振り返るのは全く程度が異なりますが、自分も書き物をする時は時間をかけて丁寧に書こうと思った次第です。

■ご参考URL

www.kyohaku.go.jp

 

離見の見、または、、オートマチックに動ている自分を傍観する自分

何か課題に出くわした時、普通は一杯一杯になる。なんとか解決策とか出口を見出して対応する(どうにもならない場合もある)。そんな時、自分は自分ではないというか、自分の中でフェーズが切り替わって、何か普段ではない別人格の自分がやってるような気になるときがある。

そんな時、自分ではやってるつもりだが本当は何もやっていなくて、結果だけを見ているのでは?と思う時がある。または、自分と言う存在は誰かから預かっていて、そのうちの一部だけが自分自身のような。

島耕作の作家である弘兼憲史氏が、課題に直面した時、「落ち着いて、さぁ自分はどう動く?というぐらいの気持ちでいる方がいい」と書いていて、最初読んだ時はイマイチ分からなかったが、半分の自分がオートマチックに動いていて、残る半分の自分は見ているだけなのではないか。だとしたら、余計なことをせずに、もう一人の自分に任せておけばいいのではとも思う。オートマチックな自分とは、言い換えると潜在意識から湧き上がって動ている自分で、見ている自分というのは自意識のある自分なのかも。

あまりじたばたせず、どうする自分??と自分に問いかけて待つぐらいがいいのだろうか。。そんな受け身で答えは出るのだろうか。。先の事を心配しすぎて動けなくなるぐらいなら、「さぁどうする自分?」と静かに問うぐらいがいいのかもしれない。

慢性的に腰が痛い→ストレッチで多少改善

E-Workが多く、自宅で仕事をしています。自宅はほとんどが和室なので、畳に低い机を置いて、畳に座って膝を崩して変な姿勢でPCに向かっている。悪い姿勢で自宅にこもって動かないせいもあり、最近は腰が痛い時が多くなった。もう体もガタガタでどんどん痛みがひどくなるのかと思っていた。腰痛の本を読んでいると、腰痛の原因の一つが体の硬さに起因していて、前屈ができない場合ハムストリングス等の後ろ側の筋肉が硬くなっていると書かれていた。筋肉が硬くなると前屈の際に骨盤が前に曲げられず、腰(腰椎?)で曲げようとして腰痛になると書かれていた。しかも自分は猫背だし。

前屈がかなり苦手な人間ですが、前屈できない原因はハムストリングスが硬いということが分かり、ハムストリングスを柔らかくすることで骨盤を前に倒せるようになるらしい。で、、毎日足を上げてハムストリングスを柔らかくするストレッチをするようにしています。すると、、ストレッチを行った後は腰痛も楽になった。なぜハムストリングスを伸ばすストレッチを行うと、その時に腰痛が軽減されるのか因果関係は分かりませんが、、自分の場合は効果が得られた。具体的に効果が出たのでハムのストレッチは続けられそうだ。どうせなら客観的に柔らかさを把握しようと思い、どれぐらい床から指先が離れているかを物差しで測ってGoogleのSpreadSheetに記録するようにした。AppSheetを使うとスマフォからでも確認できるので、グラフ化をしてみた。グラフ化したのが以下の図。

朝は硬いのだけど、一日に何度かストレッチをしていると夜にはかなり柔らかくなり、また翌日固くなるという上下動を繰り返している。。上下変動するが、まぁ全体的な流れとしては柔らかくなる傾向と期待したい。

 

腹が立ったり感情が湧き上がるが、それは出来事を正しく反映しているか??

歳とってきて、ちょっとした細かい事にもこころがざわざわする。悪い意味で。若い時なら気にならないことも、ずっとジクジクと思い返してしまう。

自分に関係した出来事に腹を立てているのは事実。だけど、、その感情が本当に出来事を正しく反映しているのかはとても怪しい。人によっては全然気にならない人もいるし、なんでそんなことをそんなに腹立てるのか?と思うこともある。感情にはバイアスがかかる。だから、、感情が湧き上がっても、受け止めはするけど、ああ自分は腹たってるのね。と受け取って、あとは無頓着な方がいいと思う。感情はええ加減なものであり、事実を正しく反映して感情が湧き上がっているとは考えにくい。なんでなんでと感情を掘り返すと記憶すら怪しくなる。

喜怒哀楽のバランス、感情のじゃぐち

最近段々と歳をとってきて、ささいな事が心にひっかかったり、町を歩いていても人とのすれ違いで細かい事にグチグチ思ったりと、自分の心が晴れずにもやもやする。若い時は、感受性も豊かでいろいろ新しい事に出会ってドキドキだったのだろうけど、年を取るとワクワクなんてことはほとんどなくて、心配事やちょっとした腹立ちが心を覆うようになる。だんだんと心もちぢこまってる気がする。体を動かさないと固くなるように、心も動かさないと固くなるのだろう。喜怒哀楽のバランスというのか、じゃぐちも大きさが変わってきているように思う。

若い頃は、喜怒哀楽のバランスが均等なのだけど、年を取ると、どうも怒と哀の蛇口がでかくなってきている気がする。

f:id:yzb:20220304222335p:plain

下が最近の自分の感情のじゃぐち、喜と楽が細くなって、怒と哀がでかくなっているような気が。。

f:id:yzb:20220304222347p:plain

すぐに、怒と哀の蛇口から、腹立ちやら心配やらトホホなエネルギーが出てくる。喜ぶより怒る方が楽なんだろう。多分。細かい事に腹を立てている自分にも疲れる。

 

だったらどうしたらいいのか?? 心を揺り動かす。喜怒哀楽をグルグル回す(そんなことでいいのか?)。頭で考えず、体から来る情報を大事にする。喜びや楽しみをなんとかして増やす(喜と楽の蛇口をでかくする)

 

ITエンジニアの再就職

自分は58であと1年と半年で定年になる。自分の会社は幸いなことに、再就職のルートがあって、65まで働きたいと要望すれば、マッチングできれば継続雇用が可能だ。エンジニアなので、無難なコースとしては今の職場でそのまま継続。

家族にとっては給与が下がっても同じ会社で65まで働くのが安心なんだろうと思う。が、、今の仕事はしんどい、細かいし、難しいし、ややこしい。(システム開発

続けるのはしんどいけど、みんな周りはいい人で、決まったコースで楽でもある。が、、やっぱり定年で辞めたい。IT関係の仕事は体動く限りつづけたいけど、今の会社では無理。65でぽっきり折れる、65までいかなくても途中で折れる。多分。ヨメや家族にめちゃくちゃ怒られるだろうけど、、定年で辞めたい

だったら何をするのか??分からない。マイクロ起業で、1つの仕事が1万で10本走らせたら10万の売り上げ。1万の売り上げの仕事とは何なのか??分からない。コンサル??そんなノウハウないし。

坐禅は無になるのではなく有になるのではないか

またまた軽薄な気づきなのだが、メモをする

我流で坐禅を何十年とやっていて、気が向いた時に坐っていた。主に仕事がしんどい時。坐禅とは、「無になること」とよく書かれていて、あれこれ考える気持ちを静めて心を無色透明な波立たない水面にすることと思っていた。確かに坐ると心が静かになって、しんどい気持ちも自分で想像して作り出していると気づく。自分の解釈で、心は普段外界からの刺激や過去の記憶、明日の心配ごとで、心の中が常に喜怒哀楽でジェットコースターのようになっている、それに対して坐ると自分の体の感覚や自分の無意識とより深く対話できて、心と体のバランスが取れると解釈していた。自分の中では、無意識が英知で、自意識は混乱の原因と思っていた。

が、、、これは自分の誤解ではないかと思うに至った。

というのも、坐禅すると心が鎮まる、普段の生活だと、あれこれ感情や情報が自意識に流れ込んでいて、それに反応していれば生活が進む。刺激・反応に任せていれば、ジェットコースターの毎日が自動的に進む。喜怒哀楽のジェットコースターだからしんどいけど、刺激・反応に任せるので判断や分別はいらない(最低の人間としての道徳はまもらないといけませんが)。ある意味オートマチックにあっという間に日々は過ぎる。

一方、坐禅で静かな状態だと、自分自身を自意識が握っているので、刺激・反応のオートマチックではなく、刺激・気づき・判断・行動になる。普段の生活パターンに対して、気づきと判断が入る。いろんな刺激にまず気づいて、判断を行わないと行動が始まらない。だから、オートマチックではなく、マニュアル操作。いちいち、気づき・判断が求められるのでめんどくさい、行動が遅くなるし、なかなか一日が終わらない。

喜怒哀楽の流れに身を任せて刺激・反応だけのオートマチックに生きるのが普段の生活で、それに対して、刺激・気づき・判断・行動に変えるのが、坐禅での気づきなんだろう。多分。オートマチックな日々には自分はほとんど居ない。一方、禅的生活では、自分を割り込ませて、気づきと判断を入れ込む。喜怒哀楽のオートマチックから、自分で生きるマニュアル操作に切り替える。

喜怒哀楽の感情は多分潜在意識から自意識に流れ込んでくる(ここは想像)。流れ込んでいることに気づけなければ、容量の小さい自意識(想像)は簡単に感情に流され、刺激・反応に進んでしまう。受けた刺激を「反応」ではなく、「気づき」へとつなぐ。つなぎ変える練習が坐禅なのでは(想像)。

だから、、「無になる」というと、自意識を空にすると解釈できるが、多分自意識は普段から空っぽなんだろう(多分)。本来空っぽの自意識に怒涛の喜怒哀楽を流し込んでくるのが無意識(多分)。無意識は自分を動かしてくれる動力炉なんだけど、無意識は常に自意識にいろんな情報や感情を常に流し込んでくる*1*2。無にするのではなく、自意識を取り戻すのが坐禅。動力炉である無意識から、喜怒哀楽や情報が常に大量に流れ込んでくる蛇口を絞ることで自意識が何かで溢れている状態から、一旦空にする。蛇口を絞るのが坐禅の時間。自意識を空にして、自分で自分を掴んで、刺激・気づき、判断・行動の状態にしてから、日々の生活に戻る。

坐禅は無になるのではなく、いろんなもので詰まっている自意識を空にして、自分を自分でつかみ取る時間。刺激・反応だった毎日を、刺激・気づき・判断・行動に切り替える時間、無になるのではなく、自分で自分を掴み、自分が居ると気づく、有の時間ではないか

 

■追記

禅とは、刺激・気づき・判断・行動では?と書いていたけど、ついさっき映画を見ていて感動して泣いていた。全くもって、刺激・反応なのであった。しかしそれは不幸ではなく、ごく普通のこと。しかも、映画とか音楽に浸っている時は、刺激・感情ではないか?誰からも非難されることではない。それに、気づき・判断を入れながら映画鑑賞や音楽鑑賞ができるはずがない。だったら、、気づき・判断を日常にはめ込むべきって間違っているのだろうか。。

*1:考えたくもない明日の仕事が気になってしょうがないというのも多分無意識から湧き上がってくると思っている

*2:休みの日に考えたくもない明日の事を考えてしまうのは無意識からの感情、だから、「考えすぎないようにしましょうね」、というアドバイスは、どうしたら考えすぎなくなるのかを伝えない無責任な言葉と思う。あえて言うなら、「不安な気持ちになった時、無意識からの不安な気持ちの湧き上がりと気づいて、「無意識からの不安な感情」というラベルを貼って、無意識に対して「いつも頑張っているね。心配なんだね分かっているよ。」「明日の事は明日だよ。今日は違うよ」と返事してあげましょう」。。か??

ワクチン接種 2回目

先日2回目のワクチン接種に行ってきた。種類はモデルナ。

当日の日中は特に痛みも感じなかったが夜になって熱が出た。一番高い時で38℃まで上がった。普段の体温は37℃よりも低いので、38℃はさすがにしんどかった。熱が上がるのが急だったせいか、震えもあった。ワクチンを打った日の夜は高熱のためあまり寝られず、頻繁に目が覚めた。翌日も37℃を超える熱で日中は寝て過ごした。翌日の夜になって体調が戻ってきて楽になった。

自分はワクチン接種で熱が出てるだけなので、時間が経ったら平熱に戻ると思っていられるけど、感染した人の場合、高熱やセキがいつまで続くのか分からない状態で闘病が続くのだから、どれだけしんどいことだろうと思うのでした。

大阪府の大規模接種に行ってきた

年齢制限がはずれて一般でも予約が可能になったので、大阪府が設置した大規模接種を受けてきた(1回目)。会場はマイドーム大阪で、予約した人だけが来てるせいか、混雑や混乱もなく粛々と受付が進められていた。自分は50肩でちょっと前まで痛み止めを飲んでいたのだけど、薬手帳を忘れてしまい、問診とか接種の時とかに、薬何飲んでたの?と聞かれたけど答えられなかった。これまでにアレルギーでてないのなら大丈夫だろうということで打ってもらった。TVで見てると、筋肉注射のせいか、腕の深くまで刺して痛そうな印象だったが、インフルエンザの予防接種の方が痛い感じだった。2回目の接種は、運営側が日時指定してくるので、その場では予定は変えられない。ワクチンの数も限られるので、自由に予約するようにしてしまうと、また予約の取り合いになってしまうので、計画的に打てるように、次回予約は固定のようでした。接種後は待機エリアで決められた時間座って、変化がないので会場から外に出た。9時に入って、会場を出たのは9時50分頃でした。

当日は仕事を休みもらっていたので、午後から家でゆっくりしていた。日頃睡眠不足だったせいもあるかもしれませんが、午後から夕方まで爆睡してしまった。1日経って、確かに打った腕は筋肉痛の感じがする。だけど、腕がだるいとか動かしにくいということはなく、50肩の方がいろいろと不自由な感じ。

2回目は発熱とかも出るそうなので、次回は注意が必要かと思っています。

 

■追記

接種を受けたのは6/25(金)の午前だったが、6/25の午後は自宅で寝まくってしまった。6/26(土)は午前は家の用事をやって、午後はまた寝まくってしまった。日頃の疲れもあるのかもしれないが、体が本調子ではないというか、何か普通と違う感じがする。体温測ってないので正確には分からないが、若干微熱な感じもする。2回目はこんな程度ではないだろうから、接種後の数日分は大事な予定を入れないように注意が必要だろう。

 

■追記

一週間経過したけど、注射を打った方の腕はすこしはれていて、熱を持っていて、痒い。モデルナを打つとかゆみが出ると聞いていて、たいしたもんではないだろうと思っていた。。が、、結構強いかゆみだ。炎症反応だろうから本来は冷やした方がいいんだろうけど、ムヒぬったりしている。この対処法は間違っているだろう。虫刺されじゃないんだから。