yzb’s diary

仕事と禅と病気(ガンサバイバーです)

 このブログを作った目的

いま43(2006年当時)で技術系のリーマンですが、まぁ勤め先の会社は社員の事情はともかく、ずっと存続するだろうけど、自分自身はこれから先何があるのか、自分はいつまで勤めれいられるか、いつまで健康かもわからない。これから先分からない中、何に価値観を見出すか?軸足はどこにあるべきか??を考えています。
多様性の時代と言われる一方、結局アメリカのように、競争社会が激しさをまし、人々の貧富の格差が広がっているだけでは?と思われ、決して生活満足度というか、生きていて良かったと思える世の中になっているのかどうか疑問があります。何に価値を見出せば、ゆっくりまったりと生きていけるのか?を考えたいと思っています。要するに、いろんな外乱の影響をなるべく受けず、楽に生きるための手立てを自分なりに模索しています。
(そうでないと、いつも何かに追い立てられるような生き方、はたまた、劣等感や喪失感に苛まれながら生きている生き様にしからならないと思われ。。)

生き方を模索するヒントとして、yogaが挙げられます。yogaはブームでみんなもその価値(心身の融合、リラクゼーション)が広く知れ渡っているからまぁその通りで、それ以外に、過去の英知である仏教や、禅といった分野にヒントがあるのでは?と考えています。
特に仏教は自分にとっても葬式か法事ぐらいしか係わり合いがなかったのですが、生きる哲学として非常に示唆に富んでいるはずと思っています。(本来の英知がお寺の奥に入り込んでいるのが残念と思います)

というわけで、ヨガ、禅、仏教を結びつけてどのように考えれば、(すくなくともまずは自分は)どうやったら、ゆったり心静かに暮らせるのかを探って生きたいと思っています。

ブログのタイトルが夜船前夜と付けていますが、夜船は白隠禅師、前夜は前頭前野typoで造語でございます。

■追記 070715
会社の組織変更で、大阪勤務から東京勤務に異動になった。家族で動くのは辛いので単身赴任の予定。これぢゃぁまるで猛烈サラリーマンではないか?と自笑しながら、東京での余った時間(社宅にはTVやネットを持ち込まないので、かなり時間的余裕ができるはず)を座禅やらヨガに振り向けたいと思っているのでした。。

■追記 080608
今振り返って読み直すと、TVはないけど、アドエスを買ったのでネットはあるような状態。座禅やらヨガに振り向けるといいながら、ヨガは週一程度で、座禅は朝遅いときはやっていない。。なお、入門の座禅会には行けた。ヨガも我流でなく本当は一度習いたいのだけど、週一のまとまった時間も取れそうに無い。さらに、キャラ端としてMacPlusを持ち込んでV850の組み込みソフトを趣味で作っている。。という自慰的な日々。。
去年からの日々を思い起こすと、秋に若洲のヨット教室に行って、冬はスキーに一人で出かけて*1、謹慎が解けて((先生からは特に許可も出てないけど))ロードバイクで湾岸を走り回っている、。。うーん、これでは精神的に掘り下げるような日々では決してない。むしろ「体でっかち」といってもいいかもしれない。でもそれが今の自分のバランスなのかもしれない。。

■追記 091018
その後単身赴任も終わり大阪に戻って家族で生活している。一人で生活していた頃はかなり心細くて、一人で生きていられるのが不思議なぐらいだったら、今から思えば自分だけの時間が山ほどあって、何でも取り組めた時間だった。今はまた家族に囲まれた生活に戻っており、さびしいことはないけど、自分で何かを集中して取り組むということはなかなかできない。。

■追記100516
ここ半年以上仕事が大変辛い。それは課題が難しいからかもしれないし、自分の力不足なのかもしれない。とにかく、、自分の仕事力(マネージメント能力、技術力)が不足して、課題に十分対応できていない。結果大幅なスケジュール遅延が発生したりトラブルが発生したりしている。もちろん頑張らなくてはならないけど、頑張るにも程度がある。気が折れるというか、萎えるというか。。かつて半導体部門で仕事していた頃もかなり凹んでいたが、それに次ぐ凹み度合い。中年で柔軟性も下がっているので、より心身にこたえるのかも。。あるいは、逆に、これまでの経験で、まぁ仕事は大変だけど、、仕事は生きるための手段なのさ、、と割り切れるずるさもあるのかも。。それはこの一連の仕事が終わって何年後かに振り返らないと分からない。

*1:コブ斜面で腰をいわした