yzb’s diary

仕事と禅と病気(ガンサバイバーです)

池谷裕二氏、進化しすぎた脳

出版されてからすこし時間が経っていますが、池谷氏の「進化しすぎた脳」を読んだ。Amazonの書評では「シビレタ!」とか書いてありましたが、自分はまぁしびれるほどではなかった*1。でもこの本で大変勉強になったのは、人の行動は無意識にかなり縛られているという記述でした。これまで無意識って、自分でも分からない奥底の意識と思っていたのですが、何気なく道を歩く時、左右に出る足も無意識で制御されているとか、何かを選択したとして、本当に意識を持って選んだのか、それとも、選んだ後で、自分を納得させるために理由付けをしたのか?かなり曖昧(多分かなり高い確率で後者)だそうで、こうなってくると、意識で自分が動いている部分ってほとんど無いのでは?とさえ思える。

今まで無意識は、自分の意識では到達できず、平素は隠されていて、その正体はある種デモーニッシュですらあると思っていたのですが、これほど日常に顔を出しているというか、さらには、自分たちの行動の大半は無意識によってトリガーが引かれていると思うと、自分の意識下でなにかをやらなくてはとか、自分は自分は!と勢い込んでも、たいして良い結果を出せないのではと思うに至った。

すなわち、、意識付けとしては頑張るけど、あとは自分の無意識のありように任せるというか、ある種の他力本願の一つの形というか、、そんな気がする。一番まずい行動パターンとして、課題に直面して、あるいは課題が見えてきて、あれこれうまくいかない場合を想像して恐れをなして動きが止まってしまうのが最悪だ。意識(自分の想像)で勝手にネガティブな想像するぐらいなら、自分を無にして無意識に任せて課題に突入してもいいのではないか。。(「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という言葉がありますが、意識の上では自分を捨てて、無意識に身を任せる。。そんな感じでしょうか)

昔仕事に溢れてそれもかなり神経を使うテーマを抱えていた時、自分だけを頼りにして自分の力でなんとかしようとしがち(しかも自分自身が感じた重圧に押しつぶされそう)だったんだけど、そう思う一方で、自分の思い(気負い)だけではどうなるものでもない、もっと他人に頼ってはどうか?とか、自分の意識だけで結果を出せるものではないと思った事があって、それはある意味、自分の意識下だけで取り組むのではなくて、自分の無意識に仕事をさせるというか任せるという、今となってはそういう解釈も出来るのでは?とも思える。もちろん、周りの力を借りて、他人に助けてもらうという意味もあります。。

というわけで、この本で学んだのは、自分の行動の大半は無意識から出ているということで、意識しても自分の行動をそんなに変えられるわけではないということ。だから逆にいうと、強い意識でもって、何か目標の達成を願うとか、明確な意識で方向付けすれば、それが無意識に対して働きかけ、すこしずつ行動が変わって良い結果が得られるのかもしれない。願えば叶うということの解釈の一つ。。

結局、あたりまえですが、日ごろの心がけが大切(意識付けの大切さ)ということなのかもしれない。勉強になりました。

*1:池谷氏に対しては心底リスペクトしています