yzb’s diary

仕事と禅と病気(ガンサバイバーです)

また疑問を覚書

いろんな本を読んでいると、ひたすら座れ。。ずっと座れといった事が書かれている。これはまぁこれで分かる。けど、人や人の心って、喜怒哀楽を感じたいというか、嬉しい事や感動する事を経験したい*1とも思っているわけで、そういった情操的な成長というのもあるはず。禅をやり続けるというのは心を静かに保つということだと思うのだが、それだけで人の人生が満ちたりる(例えば芸術的な感動さえももたらされる)といえるのだろうか。。
めちゃくちゃレベルの低いたとえ話で言うと、座禅をして心を静かにして心の成長をするのと、音楽会や芸術鑑賞して心の成長をするのと、方向性は同じなのか、違うのか、矛盾しているのかいないのか。。さらに低レベルのたとえを続けると、座禅の時間を削って音楽会に行って、芸術的な観点で心が成長しました。。と言って禅的生活と言えるのか。。座禅は音楽会をも包含する全人的な成長なのか。。これが分からない。

例えば、座禅とは何かを得るのではなく、一休みだとも言っておられる。であれば、座禅で一休み、で、休み終わったら音楽会に行く。。これはありなんだろうか。。

多分、これの答えを得るには、「頭で答えを求めようとせず、座りなさい」なんだろうな。。

*1:例えば音楽会に行くとか映画に行くとか