yzb’s diary

仕事と禅と病気(ガンサバイバーです)

座禅に対する理解(途中経過を覚書)

少し本を読んで、禅ワークショップ等で座禅を体験して、自分なりに理解した座禅を以下整理(初心を文書化する)。。

  • 座禅は自分の気持ちを落ち着かせて、自分自身を見つめる。生理学的に言うと、心身の活動レベルをできるだけ落としつつ、自意識は生き生きさせておく。。といった感じか
  • 漠然と心を落ち着かせるのは難しいので、まずは、深い呼吸をして、呼吸を数えるのが良いのではないか。また、マントラを心で唱えるとそれを集中のよりどころにできるらしい。でも最終的には、何もよりどころにせず、ただ無心に座るべきだろう
  • 「座禅は何かを得るためではない」との説明があり、だったらなぜ座禅をするのか??座禅や修行をやろうとすること自体、欲ではないのか??とずっと疑問だった。別の本では座禅に向かう最初のきっかけは所詮欲だと書かれていて納得(ずっと欲のままだといけないのは明白です)
  • 座禅では、考えない事を考えるということらしいが、もう少し分かりやすく表現すると、「考えない、判断しない、自分の気持ちを入れない、そんな状態を十分味わう」というのでも良いのではないか
  • 座禅で、雑念が沸いても無理に押し殺そうとしてはいけない(らしい)。なぜなら、押し殺すという行為自体が自分の判断が入っている。雑念を沸かした自分がいると、認識すれば良い(らしい)
  • これまで、禅で悟った人(仏を見た人?)がこの一般世間をどう生きるのか?と不思議であった(あまりに価値観が違いすぎるだろうから)。多分悟ったとしてもそういう気持ちや経験したという記憶だけが残り、ずっと悟り続けているわけではないのだろう。(多分。。ずっと空を飛んでいるわけではない)
  • 座禅で味わった感覚で生活に役立てられる部分(むやみに色づけしない、自分で悪いように持っていかない、自分を見失わない、そもそも自分からすべては始まるとよく知る?。。??etc)を生活にフィードバックすればいいのではないか?