yzb’s diary

仕事と禅と病気(ガンサバイバーです)

禅の境地を理解することの困難さ

禅で到達する三昧は、言語や思考を超えた所に位置するとよく書かれる。自分が本なんかを読んで意味が分からず混乱するのは、言語化できない境地をこちらの世界(娑婆の世界、あるいは、言語的思考過程とでも言いましょうか)で解釈しようとしているからでは?と思うに至った。
多分三昧と呼ばれる境地は、非言語的で多面的な解釈が可能で、また、本来は言語化できないものだが、それをなんとか先人は伝えるべく言語化しておられる。それを読んで自分も理解しようとするが、筋道立てて納得できないと理解できない*1人種なので、どうしても自分の論理の積み重ねで理解しようとする。。(結果、もちろん理解できない)
本来三昧の境地は非言語領域だからこちらの思考の組み立てで理解するのが不可能なのであって、なんとか頑張って自身で体験しないと理解はできないと納得しました。(理詰めで理解するアプローチはやめることにしました。ただ座るのみ!)

*1:腑に落ちないとでも言いましょうか