yzb’s diary

仕事と禅と病気(ガンサバイバーです)

最近落語を聴いてます。。上方落語と東京(江戸前?)落語

しかめっ面していろいろ考えるだけでは能が無いし疲れるだけ?なので、やはり笑いが必要ということで、落語を聴いています。
大阪に住んでいた頃は、繁盛亭がやっとできた頃で、なかなか寄席に行く機会なんてなかったのですが、東京には常設の寄席が4軒あり、気が向けばいつでも行って聞く事ができる。それに古典の舞台って、はっつぁん、熊さんが出てくるのは、江戸時代なのだ。。だから、東京には落語が良く似合うと思う。
やはり本場の寄席に行こうと思い、新宿の末廣亭に行きました。土曜日だったので、えらい人で、桟敷席の後ろの方に座った。なるほど、ほんわかと暖かい空気がそこにあり、寄席っていいもんだな。。としみじみ思った。寄席はいろんな噺家さんが出られていろいろ楽しめるのですが、一つの噺をじっくり聴くというのはできない。
古典をじっくり聴きたいとなるとホール落語になってしまいますが、予定も分からないままずっと先のチケットを買う根性もなく、近くのレンタルCDショップで落語CDを借りまくっている。

やはり東京(江戸前)落語といえば、古今亭志ん朝氏ということで、志ん朝さんのCDをずっと借りていた。そんな折、上方落語にも上方固有の噺があると知り、それを聞くべく、桂枝雀氏のCDを借り出した。その題目は、地獄八景亡者戯というもので、あの世で閻魔様の所までいく道中を描いた噺。まぁそれ自体、しりあがり寿氏の「やじきたin Deep」を彷彿とさせる噺でなかなか面白いのですが、それ以上に感心したのは、枝雀氏の芸の確かさというか、細やかさでした。自分は大阪の人間で、枝雀氏はよくTVにも出ておられたのですが、どうもあのオーバーアクションの落語が好きになれず、落語はやっぱり渋い江戸前だろうと思っていました。それがCDで聴くと(失礼ながら)あの振りは見えず、声だけの芸になるのですが、そうなるとより一層、芸の深さが伝わってくるのでした。マクラでは、「たわいのない話ですから。。」と言いながらもその裏では相当の努力と工夫を重ねておられるわけで、また、枝雀氏の表向きの明るさに反して、私生活ではかなり暗く(というとまた失礼ですが、奥さんがどこかで語っておられる限りそうらしい)芸一筋に自分の身を削りながら研鑽を積まれた。。と思うと、聴く方も気楽には聴けないのでした。。

まあそんなこんなで、東京の落語、上方の落語両方を聞いてると、やはり蕎麦とうどんの違いというか、粋でいなせな蕎麦と、ダシの効いたしみじみ美味しいうどんとの違いにも似て、なかなか興味は尽きません。。ちなみに、東京では、主に蕎麦を食っています。郷に入らば郷に従え、、それに、うどんの旨い店はなかなかないので。。デヘ