yzb’s diary

仕事と禅と病気(ガンサバイバーです)

ずっと取り組んでいた仕事がひとまず終わった。。その後遺症

数ヶ月間、うんうんと唸りながら取り組んでいた仕事がひとまず終わった。で、これで一息つけるかというと、スケジュールが大幅に遅延したため、続くプロジェクトがまた大幅に遅延していて、休む間もなく次のプロジェクトを開始しないといけない。。それはまぁいいのだが、、
この土日は食べまくっている。夜に、お菓子とかスナックを食べまくっている。なぜか分からないが、漠然とした不満感というか、漠然とした満ち足りない感じで一杯だ。その上、家では些細な事に腹を立てる偏屈父ちゃん状態になっていている。気難しくなって些細な事で怒ったり拗ねたして手におえず、家族に迷惑をかける始末。プロジェクトの課題を抱えていた日々はデフォルト凹んでたけど、一旦終わって、心の重圧が外れて、タガも外れて、レベルの低い素地の部分(幼稚な部分、あるいは未成長な領域とでも言おうか)が一気に噴出したような状態。。
振り返って考えるに、多分、大変でアホアホ状態で凹んだ毎日だった苦労続きのプロジェクトを終えたものの、達成感もあまりなく、誰かに褒めて欲しい、ねぎらって欲しい自分がいて、だけど、だれもほめてくれないからすねている、、そういうことだろう。
甘いものを食べまくるのも、自分で自分を食べ物で褒めているつもりなんだろう。いろいろ迷惑をかけた家族に感謝こそすれ、褒めてくれないと拗ねるのはそもそも間違っている。。お恥ずかしいながら、自分のそういう心理状態に気づいた。ここで結構意外だったのは、自分自身ではそういう不満感を明らかには自覚していないのだが、潜在意識内で、理屈で説明できる心の動きがあるということ。。潜在意識ってもっと理不尽な(説明付けが困難な)動き方をするものだと思っていたからちょっと意外。。

いずれにせよ、誰もほめてくれない癒してくれないというアホな不満で自分が拗ねているというのをよく自覚・反省して、家族にも正しく接しないといけない。

仕事が大変な時期はそれはまぁ大変なんだけど、仕事で自分の心が一杯になることで、それ以外のささいな悩みは全部吹き飛んでいた(あるいは、仕事以外は考えられない状態であった)。それはそれでまぁある意味幸せだったのかもしれない。退職したら仕事のストレスから解放される反面、毎日妄想が湧き上がってきてつまらんことにも気持ちが囚われたりして、また間違った方向にエネルギーを使ったり、つまらんことに悶々とした日々を送るのだろうか??と思うと、いまから正しい心とはどうあることか?とか、客観的に自分を見つめられるか?とかそういった準備をしておくべきでは?とも思うのでした。

「艱難汝を玉にす」というやつですかね。。そんなに磨かれた訳ではないが、いろいろ考える機会にはなった。。。でもそれはまだまだ続く。。