yzb’s diary

仕事と禅と病気(ガンサバイバーです)

最近思う事;でっかい船の上の自分

人は生まれてきて今を生きてるけど、この命はどこから来るのか??少なくとも親から分けてもらっている。命は0から作られるのではなくて、、親から引き継がれる(と自分は理解している)。一旦途切れると戻すことはできない。で、その親は誰から命を受け継いだかというと、その親から引き継いだ。その親はさらにその親というわけで、数珠つなぎに先祖に遡る。先祖をどこまでも辿っていくと猿の時代を超えて、さらに遡ると、プランクトンみたいなのに辿りつくのだろう(進化論に従うならば)。さらにその先は何だったのか?分からない。

当たり前のように今を生きているけど、その小粒な何者かから今まで何億年?と途中で途切れることなく奇跡的に命のバトンが引き継がれて今までやってきた。これは奇跡なのでは?ほとんどありえないぐらいの奇跡なのでは?

今を生きるということは、その何億年の奇跡の命のバトンを渡されて今自分が居る。それは自分だけではなくて、隣の人もそうだし、周りの草や木、動物、すべてが奇跡のバトンを受け取って今を生きている。

日々いろんなことがあるけど、自分の後ろに何億年の引き継ぎがあったのだと思うと、明日の心配なんて取るに足らないと思うようになった。だって、、何億年も生きてきたのだから、たぶん明日も生きられる。なんとかなるさというわけです。

命のバトンは何億年の旅だけど、一方で、自分の意識が何億年と引き継がれたとはさすがに思えない(宗教的には輪廻の考えがあるけど、勉強不足で簡単には納得できない。でも否定もしないけど)。自分の体の元というか命は何億年の旅をしてここにいるけど、自分の意識はそのうえに乗っかっているだけのような気がします。ある意味、命という見えないでっかいタンカーの上に乗っかっている小さな自意識。。何億年と海を進んできたでっかいタンカーはでかすぎて自分の目に入らない。だけどそれは何億年の航海を続けている。

そう思うと、、心配事や腹立ちで自分を一杯にしてはいけないし、生きるのは喜びのため、感謝のためと思わなくてはいけないと思うのでした。また、あれこれ頭をめぐらして自分を一杯にするのではなく、小さい自分の思考を止めて、足元のでっかいタンカー(脈々と引き継がれた命というか大きな流れ)に思いをはせて、自分が自力で生きているなんて思わずに、今ここに居ること、生かされていることに感謝してもっと謙虚にならないといけないのでは?とも思うのでした。