yzb’s diary

仕事と禅と病気(ガンサバイバーです)

茶道は剣道と同じく、、心・技・体!

お茶を習い始めた頃、作法を覚えるのが精一杯だった。お手前をしている時も、この次は右手でお棗を取って・・それから・・と頭の中で次にやることを思い出しながらやっとお茶が点てられるような状況だった。そんなある時、ふと自分の手が勝手に動くのを感じ、お手前がゆったりと流れる経験をした。それはそれでちょっとした感動だったんだけど、段々慣れてくると、お手前(作法)ってそもそも流派によって違うのになんでこんなに拘るのか??疑問に感じるようになった。ちなみに、自分が習っているのは裏千家でございます。まぁ裏千家はお点前の型に拘るそうなので、先生も細かい所に目がいくのかもしれない。

正しい作法は流派によって異なるので、お点前も絶対これが正しいというのではなくて、相対的なものであり、作法とはお茶の心を表現するための方便なのでは?とも思うようになった。お茶の心とは、(裏千家では)和・敬・静・寂であると表現されるけど、言葉で理解できたらだれも苦労しないのであり、お茶の心なんてそれぞれの人の心に降りてくるのを待つしかないとも思っている。で、降りてきてもらうためにはまず心身を整えて待つと。そのための作法なんだろうと思っていた。(流派によって作法が違うのだから、作法(お点前)とは、お茶の心を宿すための方便だという解釈)

しかーし!!、、さらに練習していると、実は、正しいとされる作法はあるべきお茶の心を表現するための本質の一つでは?と思うに至った。心の動きと体の動きは本来一つなんだから、点前がずれると体の動きがずれ、結果として心の位置がずれるのではないか。やはり、正しい位置、正しい動きをしていないと心も正しい場所に置かれないのでは??と。 お茶の心さえあればいいのだというのではなくて、剣道と同じように、心:お客様のためにお茶を点てる心、技:正しくお茶を点てられる技術、体:それらを表現する身体、これらが三位一体の正しい関係になって初めて成り立つのでは?と思うに至った。だから、、茶道も、心・技・体、の三角形がきっちりできあがっていないといけないと思っているのでございます。

ちなみに、、剣道の世界では、守・破・離という考えがあるようですけど、、茶道でこれをやったら破門になりそうです。