yzb’s diary

仕事と禅と病気(ガンサバイバーです)

初風炉のお茶事(自己反省)

先生から初風炉のお茶事をするので参加してはとお誘いを受けた。普段はお薄のお点前を繰り返し見て頂いてるだけなのでまぁある程度お茶のお稽古には慣れましたが、お茶事となると細かい作法も分かっておらずかなり気が張ります。和やかな大寄せのお茶会と比べて正式なお茶事となると所定の作法で懐石→炭点前→お濃茶→お薄と進み、時間もかけて、ご亭主と客との心のふれあいというか、アート対決というか、芸の真剣勝負というかそういうものでしょう。
と、、前ふりが長いのは、、かなり正式なお茶事に参加させていただいたけど、自分の修業が足りないのだけど、なんちゅーか、カタストロフィとか昇華とかインサイトというか大いなる発見とか芸術のエクスタシーとか、そこまで高めることができなかった。確かに、お濃茶を頂点として心を高めてゆき、一杯のお茶を分け合う、そこに主客の一体感が生まれる、、そういうことなんでしょうけど、まず自分はお濃茶の味が分かっていない。今回のお茶事はかなり高価な抹茶を使われたそうですが、、自分にはお濃茶の味の良さが分からん。お薄の方が美味しかった。一座が和んだ雰囲気でよかった。しかし、茶事の頂点はお濃茶のはずだ。。
お茶事に参加して自分の分かってなさがよく分かったのだけど、お茶事が進む静かなお茶室で複数の人と時間と出来事を共有するということは自分の心を耕す事である(自分自身に分け入り深耕する)ということが分かった。それだけでもまぁ得られたことでしょう。下世話な話ですが、正式なお茶事はかなり高いのですが、芸術的な至高感が得られなくても、できるだけ参加したいとは思いました。