yzb’s diary

仕事と禅と病気(ガンサバイバーです)

お点前の作法とは一体何か

自分は裏千家の流派に属して裏のお点前を習っているけど、表になると作法が違っている。たとえば、、お客さんとして座っているときにひざの上で手を組んで座りますが、裏では一応右手が上と習います。一方、表だとどちらでも自然な方でいいことになっている(らしい)。NHKの趣味講座で表の方が先生をされていたけど、生徒さん(といってもかなり上の人。。ほとんど幹部クラスか)は全員が揃って左手が上になっていた。お薄の点て方で言うと、裏は十分に茶筅を振ってクリーミーに仕上げますが、表はあまり泡立てず、三日月ぐらいになるのが理想らしいです。
何が言いたいかというと、先生に何度も注意される作法の細かい点だけど、流派が違えば何が正しいのか?も違ってくる。流派の中では絶対守るべき作法だけど、流派を超えて普遍的ではない。となると、細かい作法に囚われる必要あるのか?という気にもなるけど、それは多分ちょっと違っていて、作法に拘るのもひとつの方便ではと思うのです。何のための方便??となりますが、それは心を整えるための手段の一つとして作法に拘るということではないか。ではなぜなぜ心を整えるのか?それはおいしい一服のお茶をお客様のために点てるため。
何も方法を教えられず、お客様のために心を込めてお茶を点てろといわれても何をどうすれば心がこもるのか分からない。でも作法という方便(ツール、または、メソッド)があって、それに沿って心を研ぎ澄まして無心に徹底して動くことで結果として心を込める所作が可能になる。

正しい作法とは何なのか?は重要ではなく、ある決められた作法にどれだけ徹することができたのか?が重要なのではと思うのでした。