yzb’s diary

仕事と禅と病気(ガンサバイバーです)

一年半お茶を習ってきて。。

会社の茶道部でちょっと習っているだけなので、本格的に打ち込んでいる人からすると腰掛のようではあるのだけど。。
お茶を習い始めた頃は、いろいろ学ぶことや知識が増えて、上達してるなーという実感があった。だけど、1年ぐらい経つと、同じことの繰り返し(より上位のお手前はありますが、早々進まないので、お薄の炉と風炉のお手前(運び点前)を続けている)で、知識や経験もそれほど増えず、どうしたものかなーと思っていた。それに、何に向かって努力したらいいのかもちと分からず。。
で、また先日お茶のお稽古がったのだけど、そこで思ったのは、お茶を通して、人(人の心)と触れ合うということ。。それがやっぱり本質なのではと思った。もっと上のレベルになると、和敬清寂とか一期一会とか茶禅一致とかまぁいろんな境地があるのだろうけど、1年ちょっとの自分としては、、お茶と、心の交わり、、そういった時間が得られる、、そこに喜びや安らぎがある、、ということなのかと思った。
だからまぁ、手前がなかなか進まないとか、知識が増えないとかそういうことにとらわれず、無心に手前をこなすのがいいのではと思うにいたった。。

■追記 2012/10/14
お茶のお稽古の前には普段は自宅で予習するのだけど、手を抜いて予習せずにお稽古に入ったら、点前の順番を間違ったり散々であった。やはり自宅でのお稽古をさぼると如実に現れるのであった。。
また、お稽古では先生から柄杓の持ち方や帛紗のさばき方等指導を受けた。改めて指摘されると確かに自分のはまずいとよく分かるし、まだまだ気をつける事があると再認識した。また、帛紗のさばき方の注意はかつて習い始めた時に言われたのと同じ内容だったのだけど、習い始めた当時はどのような点がまずいのか、いまいち分かっていなかった。今では何が悪いか、指摘されると身にしみて分かる。自分の理解が進んだのか、あるいは、先生の指摘が今回は分かりやすかったのか。。