yzb’s diary

仕事と禅と病気(ガンサバイバーです)

茶道部割り稽古(3)

このブログは元々、禅とか仏教とかのためだったのだが、がほとんど茶道部活動記録になっていきている。。いかん。

習った事・・茶巾の使い方、お茶碗の清め方、茶筅通し
お菓子・・菜の花(鶴屋鷹山)

お茶のお稽古を3回やっただけなのだが、これはかなり心の修練だということを痛感する。なぜか?作法に集中する、雑念を払い、今やっていることで心の中すべてにする。これは心を無にしてひとつにする坐禅に近いと思う。あとはお客さんを思う心。相手を思って、相手のために今自分の成すべき事にベストを尽くす。。これは見方を変えれば、人が幸せに生きるための正しい方法であって、宗教とかの教えというのも、結局は別の形でそういう心の動かし方、気持ちの持ち方を教えているということではないかと思う。だから、、仏教の勉強や坐禅に取り組むのと同じように、茶道を徹底的に取り組めば、これもまた人が幸せに生きるために必要な正しい心を持つ道に繋がると思うのです。でも茶道にもやっぱり罠というかトラップはあって、道具に凝ってしまうとか、虚勢を張るとかそういう方面に気持ちが行ってしまうとせっかくのお茶の教えがおかしくなってしまうとも思う。自分は、一方で我流ながらも坐禅とかやっているので、そういう考え方(無心とか形とか)を裏づけにして、茶道を学びたいと思うのでした。

■追記

まったくの初心者ですが、作法に従って行動しようとすると、自分が今から何をすると意識して体を動かす。これは、普段はいろんな行動を無意識、あるいは考え事しながら済ましている中で、画期的な事ではなかろうか。今、ここで、自分が何をしているのか、何をしようとしているのか、常に考え意識しながら行動する。。これは多分深い心の落ち着きが得られる時間ではなかろうか。