yzb’s diary

仕事と禅と病気(ガンサバイバーです)

休みが終わって仕事が始まったけどやっぱりしんどい→会社のトイレで坐禅のように

これまでは過去のノウハウ(IT運用関連)でルーチンワーク的に仕事をこなしてきたけど、スキルチェンジということでプロマネ丁稚状態になった(サブのプロマネとして勉強中)。かつては組み込みソフトのプロマネのようなこともやっていたけど、それは20年ぐらい前の話。。久しぶりにサブのPMをやるのは非常に大変。で、、その親分のPMは結構厳しい(もちろん下を育てるために厳しいのだが)。開発対象がソフトウエアやサーバに閉じていればまだなんとかなるが、機器制御の細かい所が全然手触りなくて土地勘もない。そんな風に足元がグラグラ。で、いろいろプロジェクト推進上の抜けや理解不足があって叱られる。
久しぶりに消えてしまいそうな気持ちになってしまった。また、あまりのプレッシャー?で指先から感覚がすーっと消える感じにもなった。昔の半導体組み込み時代もそこそこハードだったけど、久しぶりにこの重圧を味わうとは、しかも50でのプレッシャーは心にこたえる。。
仕事を始めても普通にはもう机には座っていられず、もうこれ以上だめだと思ったら席を立ってトイレに行って様式便座に座って坐禅のような事をしている。便座の上で胡坐を組むのはむりなので、普通に座ってせめて姿勢を整えて、呼吸を整える。
まず手先の少し動かして手の感じを味わう。次にお尻や足の裏を意識して自分の体の重さを感じる。この手順で気持ち(心)が体に戻ってくる。頭でっかちになっている状態から、心が体のなかに戻るというか。。
次に呼吸に意識を置いて深い息をする。息を吸って息を下っ腹に下ろす。そうするとだんだんと気持ちが下がってくる。丹田に気が充実するというか。この状態で数分呼吸をする。
姿勢を正して呼吸している間、結構あれこれ妄想が思い浮かぶのだけど、なるべく、「今、ここ、自分」等と自分に心のなかで声をかけて、気持ちを今・ここ、に置く。数分維持したら坐禅を解除する。終わってみると気持ちがリセットされている。悩みが無くなるとか、何かビジョンが得られるとかそいうことではないけど、少なくとも、どちらかに偏らないニュートラルな心の状態にはなっている。それでまた職場に戻る。

自分は思うのだが、、辛いとか耐えられないとか、もちろん環境の深刻さのレベルもあるのだけど、自分の心の解釈次第だとは思っている。「アホボケ死んでしまえ」とかとまで言われるならそれはパワハラだけど、自分の力不足で多少のお叱りを受けるのは新しい仕事上しょうがない。なんでこんな仕事をしないといけないのかという気持ちだったら怒られるのは辛いことでしかない。一方、自分は今成長している、新しい仕事に取り組んでいる、期待されているから怒られれていると思えたら、叱られても素直に反省して正すべきは正そうとなるだろう。だから、、つぶれてしまうか、持ちこたえられるか?は心がけが大きいと思える。あまりに真に受けると自分がつぶれるが、話半分ぐらいで聴いておけばちょうどいいとか。。新しい仕事への過剰適応にならないように、また、自分が会社での仕事が続けられる程度に頑張ることができるバランスを探し出さないといけない。
というのは、、会社もプロジェクトも上司も、自分が気持ちの問題で倒れるのを望んでいない。周りから求められるのは結果を出すことだ。結果に繋がらない心労や苦労は切り捨てるべき。怒られて反省は必要だけど、こんな自分なんて、とか、俺はダメだ、、と卑下する必要は全くなく、そんな自己否定の考え方は誰からも求められていない。だったらする必要はない。

■追記(自分への戒め)
ヨガをやったり坐禅をすると心と体のバランスが元の状態に近づき、心配や不安で一杯になった頭の中が多少は改善される。「反応しない練習」によると、不安等は妄想によって自分の心が勝手に作り出したものという解釈である。だから、、しんどいとか不安だという前に、妄想を消す努力をしてそれでもやっぱりだめな時だけ使って良いようにしたい。しんどいと思っていいのは、妄想を消す努力をした後だけ。しんどい、辛い、不安だというなら、まず妄想を消す努力をする。