yzb’s diary

仕事と禅と病気(ガンサバイバーです)

そもそも今、幸せである、ということに気づいていない問題

仕事の内容が少し変わって、結構しんどい。そして辛い。まぁそれはそうなんだが、、そもそも自分は(ガンにかかって治療したというのはあるけど)体も普通に丈夫で、ヨメハンもいるし、普通に仕事して食べれている。仕事以外では特に心配事はない(ちゃんと対応できてきない両親の問題を除く)。
普通に考えれば自分は幸せなのだ。仕事以外には特に心配することが無い。だから、、休みの日はついつい仕事の事を考えてしまう。職場を離れて仕事の事を考え出すと心配事がどんどん膨らむ。そして日曜日の午後からは気持ちがどんより重くなる。
だがよく考えるべきは、、そもそも今生きているということがかなりのあり得ない確率の結果で発生している。今生きてる、それだけで十分ありがたいのだ。だけど、、それは毎日のことで有難さに気づくことすらない。だから、仕事がしんどいとか生きるのがしんどいとか思ってしまう。また、心はルーぺの機能もあって、心配事の対象を拡大したり縮小できる。心配事も事実から離れて想像の世界で考え始めると、基本的にどんどん膨張してしまう。心配のインフレーションとでも言おうか。実体を離れて、あるいは、会社を離れて仕事の事をあれこれ考えしまうこと。。そして心配でしんどくなること。。仕事以外の自分の時間を心配で覆いつくしてしまうこと。それは間違っている。仕事の心配は仕事の時間にだけ閉じ込めておくべき。仕事以外の時間に侵食してはいけない。むりやり点数で表現するなら、今生きれるだけで99点。残り1点以下が仕事の出来栄え、仕事の評価。
だから、、仕事の事で日常の自分の気持ちを一杯にしてはいけない。仕事の心配は仕事の時間でやるべきで、会社を離れて考えるべきではない。また、、仕事の立場に立つならば、仕事は心配されるのを望んでおらず、仕事は問題解決(課題解決)されることを望んでいる。自分があれこれと逡巡している間、仕事のアウトプットは遅れ、進捗も遅れる。悩んでいる暇があったら、だれかに相談するなり、SOSを出すべき。怒られるのは仕方がない。時間が経過して遅れて怒られる程、コストパフェ―マンスが下がるし、仕事も遅れる。逡巡している時間がもったいないし、自分も疲れる。仕事は逡巡で遅れるのを望んでいない。それに、、仕事で怒られる事なんて、人生の0.5点ぐらいの意味しかない。多分。生きてるだけで99点をみんな持っている。多分。。

■追記
そんあにありがたい世の中だけど、、やっぱり食べていくのは大変。適度に働けば適度に食べられたらいいのだけど、残念ながら日本はそうはなっていない。頑張ってしゃにむに働くか、、よほどその人だけが持つ特技を生かした仕事をしないかぎり食べられない。適度に働くだけだと多分とても苦しい生活になると思われる。食べられないという恐怖が仕事の恐怖(なんとしても辞められないという脅迫概念)に繋がると思える。もし今の仕事を辞めてしまったらもう食べられなくなるという恐怖。。