yzb’s diary

仕事と禅と病気(ガンサバイバーです)

休みの日も仕事が気になって気が重いー>座ってみる。。

こんなことではいかんのだが、、仕事がしんどい。いろいろ気になる事があって、休みの日だけどあれどうなるやろうか。。とか考えだすと心配が膨らんでくる。しんどくなる。この3連休ちょっと休めたので座ってみる。寝不足で坐禅するとすぐに寝てしまうのだけど、昼寝もしたので今回は居眠りはしない。
坐禅の前半は数息観で心身を整えて、後半の時間は何も意識せずにただ坐る。すると、、一番自分の心を独占するのは、仕事の心配よりも何もせずに坐っているという退屈の恐怖。これも未熟さが露呈しているのだが、10分以上ただ坐るのかと思うと退屈で軽く恐怖になる。
とは言いながら、あれやこれやでなんとか当初予定した坐禅の時間が終った。終ってから坐っている時を振り返ると、坐っている間自分の心を占有したのは、仕事への心配ではなくて、今坐っているという退屈への恐れであった。ということは、、自分の心の根っこは、退屈ということが分かった。仕事の辛さってのは、本心というより、自分が作り出した上澄み(あぶく?)なのかと(もし根っこの心だったら、坐っている間も辛さが横にくっついているはず。だけど、、辛さはどっかに行ってしまって、退屈が全面にやってきた)。
こんな気づきから、やっぱり仕事の辛さは自分の心が作り出している仮の像なんだろうなと改めて気付かされた(気づかせていただいた)*1
技術系の仕事を何十年もやってきて、もう十分仕事の経験も積んでるはずなので、、しんどいと言って閉じこもっているのではなくて、どうやったら楽に仕事をできるのか、しんどさの根本に立ち返り改善できるスキルを持っていないといけないと思うのだが。。そういうレベルには達していない。技術がしんどいのではなくて、、人間関係がしんどいのだ。

*1:自分が作り出した恐れなんて吹き飛ばして思いっきり進もう。。と言い切っていいのだろうか