yzb’s diary

仕事と禅と病気(ガンサバイバーです)

仕事がしんどくて坐る→「しょうがない」という言葉が出てきた

仕事がしんどいのだが、自分にとってしんどいというのは、体がきついとかそういのではなくて、、明日の仕事に対して心配だったり不安だったりそういう想像が自分を不安にさせて、結果しんどい。仕事で求められるレベルが自分の力よりも上だったり、決められた時間で終わらない仕事が出てくるから。
明日も会議があって、適切に質疑できそうにないとか気になってしょうがないのだが、気になってばかりでしんどいので日曜日は坐禅してます(なにもしないのはもっとしんどいから)。
坐っていて、自分の中から出てきたのが、「しょうがない」という言葉。たしかに、、仕事で生じる課題やトラブルは自分が選んだのではなくて、周りからやってくる物。自分の力で必ず解けるという保証はない。他人による評価も、自分に任せられる仕事も外からやってくるもの。外からやってくる物は、自分では制御できない、制御不可能なこと。そんなどうにもならない物事にいちいち一喜一憂していたら体(と心)がもたない。
だから、、うまくできなくても、もし失敗してもそれは「しょうがない」のだ。自分なりに努力して結果がだめでもそれは「しょうがない」。仕事の結果で自分の価値が決まるわけではないと自分によくよく言い聞かせよう。それに、「しょうがない」という言葉には、自分の置かれた状況を一旦受け入れ、自分なりの判断を下している言葉だとも思う。(現状を客観的に淡々と受け入れる。受け入れるけど、激しい感情はそこに持ち込まない)
一般的に、仕事に頑張りすぎたり、気負いすぎるのは、自分に自信がなく、自分の価値を正しく認識できないのが原因と言われる。自分の価値の軸がなく、自分の価値が仕事のできばえと勘違いしてしまって、仕事依存になってしまっているからだ。
仕事は仕事と割り切って距離を置かないと、気持ちが凹んでしんどくなってしまう。しんどくなって仕事ができなくなるのが、自分にとっても会社にとっても一番まずいことだ。そんな状態におちいるぐらいなら、何か失敗したとしても、そこは反省したふりして、気持ちだけは平然として凹ませない方がまだまし。いろんな課題や怖がりな自分の心と、なんとか折り合いをつけながらどうにかこうにか仕事を進ませるしかない。。