yzb’s diary

仕事と禅と病気(ガンサバイバーです)

生きているという価値・有難さを見出したい

いつもながら仕事がしんどい。根本原因は本当にしんどいのではなくて、あれこれ先回りしすぎて先の事を考えすぎてしんどくなってるのだが。
我々が生まれて今ここにいるのはあり得ないぐらいの偶然の積み重ねで、本当に貴重な素晴らしいことのはずなんだが*1。。*2、、普通に生活していてそういう実感が湧かない。頭の先っぽでしか理解できない。腹の底からそう思えない。本当なら、仕事や日々のでき事で落ち込んだり凹んでも、生きてるだけで儲けものと思えないといけないのだけど、、そう思えない。今生きているのが当たり前で別に有難みを感じられないから、心配事やちょっとの辛い事で心の中が一杯になって、人生を暗くしてしまっている。
自分が到達したいのは、、今生きている有難さを心の底から感じられること、生きてる有難さからまずスタートして、日々の生活を送れること。そうでないと、、ずっと毎日しんどいしんどいと言い続けながら日々暮らして、死ぬ間際に、「生きてて良かったか俺!?」等と思いながら死んでいくように思える。
ガンになって、人とのご縁や他力というものを痛切に感じて生かされている今の自分ということに気づいて感謝したはずなのに、、こんなことではいかんのだが。。やっぱり仕事がしんどいと凹んで縮こまる。人生ってどうよ!?と思ってしまう。いかん。
とにかく、、生かされていることへの感謝、ありがたさという本質を見極めて、それをしっかり懐にしまってから日々を送りたい。すべての考えや思いはそこから始まるようにしたい。

■追記(180113)
ちょっと文脈が繋がらないけど、生きててよかったと思えるのは芸術とかを見たときにそう感じる。優れた写真とか絵画(日本画、洋画)、焼き物を見たとき、”あぁ生きててもいいことあるよ”なと思える。なぜ芸術を見るとそう感じるのか?は分からない。作品を通して、その先に、作者が存在するからなのか、あるいは、作品を通して同じ気持ちを共有できるからなのか。詳しく分からないけど、それは自分にとって事実。。だから、、凹んだ時はおいしい物を食べるという手もあるけど、優れた芸術作品を見ることで勇気づけられる時がある。(むりに前向きに生きるとか言わなくても自発的に)もうちょっと生きようという気持ちになる。

■追記(180213)
生きている有難さって、今ここに存在するということ、それ自体。目に見えるもの、聞こえるもの、感じるもの、今ここに自分が居て感じられる、他の人や物と関わりあえる、そういった事が素晴らしくありがたい事。だから、自分が居るだけでありがたいと思うべき(明石家さんまさんの言う、生きてるだけでモウケものという言葉)。だけどそれを忘れて、自分は明日の心配をあれこれ想像してしまって、心を曇らせてしまっている。

*1:一等の宝くじに連続して何度も当選する以上のあり得なさの幸運の結果、今自分たちは存在しているはずなのに、なぜこんなに生きるのがしんどいのか

*2:多分自分から作り出しているのだろう。それは間違ったものの見方、捉え方、考え方によるものか。苦を作り出しているのは自分自身。。多分そうなんだろうけど、本当にそうか!?