yzb’s diary

仕事と禅と病気(ガンサバイバーです)

全ては縁と考える

へなちょこな自分にとって仕事は辛い。どう辛いか? 頭が悪いので理解が遅い。会議で議論が進んでいてもそのうち分からなくなる。じっくり時間かけて質問できればまぁ分かるのだろうけど、議論の展開が早すぎるのと、分かっている人同士だと言葉も省略されるのでついていけなくなる。さらに、、頭の中に疑問が湧きあがると頭の中が疑問で一杯になってしまい、新しい情報が入って来なくなる。そんなこんなで、大抵は、「何を聞いていたのか?」「何度も説明させるなよ」(そんなに厳しい言い方はされないけど、主旨はそういうこと)とご指導を受ける。あと、、開発なので、納期もあるし、監査もあるし、書類準備やら、発注やら、経理処理やらで、、一日あっという間に終わる(残業規制もあるし)。で、、ちょっと前に検討した結果(理由)を忘れてしまったり、細かい仕様を忘れてしまったり。。
とまぁ仕事はダメダメなのだが(そんな日々で今は56歳という。。)、仕事以外でも茶道部とかこれがまた叱られ侍状態で辛いのだった(和敬清寂はいずこへ!?)。。
そんなこんなで大変なのだが(もちろん自分の辛さなんて序の口でもっと大変な状況で生きている人は大勢おられるのは分かっております)、最近思うようにしているのは、、いろんな出来事は縁なのであると。縁があって自分の所にやって来た。良いことも辛いこともすべて縁。空から降ってくるようなもの(ちょっと違いますか?)。たまたまやってきただけだけど、、自分の所にやってきた縁を味わうと。嬉しい事も辛い事も味わう。自分はたまたま生まれてきて(縁があって今の両親の所に生まれてきた?)、縁があって、いろんな出来事や人に出会って、いろいろ感じて、時間が経って、自分も歳を取って、やがては終わると。
そんな縁で何かがやってきたら、「よく来られましたね」とまずは受け入れる。それが辛い事でも。縁の元でのいろんな出会いこそが人生なのだと。縁によって出会うのは、良いことも辛いこともあるけど、、縁で出会うのが人生なのだ。。
なんで俺が?とか、自分だけなぜこんな目に?とか、なんで俺はこんなに出来ないんだ!?とか、そんな事思わず、ああこれもご縁なのですね。。と受け入れる。味わう。それだけ。たとえ最後はどうにもならなくなってもいいじゃないですか。そういう結論もまた縁なのです。。と書くと無責任主義のようですかね。