yzb’s diary

仕事と禅と病気(ガンサバイバーです)

日々の生き方(忘れないようにメモ)

 かつては仕事がしんどかった。能力不足でヘタレな自分に辛くあたる自分がいたせいだと思う。しんどいのに、「もっともっと」と言って、「ダメな自分」などと言うから自分でヘトヘトにしている。だから、、考え方を変えることにした。

 

 我々は生きてるだけで99点(100点と言い切れないのは修行が足りないせい)。仕事がイマイチでも、アウトプットがイマイチでもそんなことは取るに足りないこと。生きていて、体を動かして職場に行って、人と会っている。。そんな毎日を送って生きているだけでもう十分。みんな合格。99点確保なんです。ちょっとうまくいったとか、忘れてたとかミスしたとか、ほめられたとか、怒られたとか、、そういう事は残り1点の範囲です。いやマジで

 

 毎日を送るにあたり、、昨日の事をくやんだり、明日の心配で、今、この時間をおろそかにしてしまいがちですが、、今いる場所が一番大事。気持ちも、今、ここで起きていることに集中すべし。体のある場所の出来事で心の中が一杯になっているのが本来の形。今、ここ、自分に集中すべし。

 

さらに、、心配や反省、想像、気配り、遠慮、配慮で心を一杯にせず、心の中は身体感覚の割合を増やすべし。今、ここ、自分が、何を感じているか、その事にまず集中する。心の中は身体感覚のために半分以上使うべきで、心配とか気配り等の働きは心の中の10%ぐらいで処理するように抑えるべし。もし心配で心を埋め尽くすとしんどくなってしまい、最後には動けなくなる。

 

心の奥からしんどい、辛いと湧きあがってきたら、押し殺そうとせずに、受け止める。「明日の事が心配でしんどいんだね。よく頑張っているよ。どうにかなるよ」と言ってあげる。「確かに心配だ、どうするんだ自分」とか自分で自分を追い込めない。

 

オポノポノの教えのように、、「ありがとう、愛しています、すみません、許しててください」と自分に声掛けする。状況が好転するかどうかは分からないけど、心の位置は、ネガティブでもポジティブでもなく、中立(ニュートラル)に戻る。そこからまた始める。

 

「これまで生きてきてどうにかなった。これからも多分どうにかなる」と自分に言ってあげる。さらに、親が生きてきて、その親が生きてきて、さらにその親が生きてきてと、、何百代(何千代?)に渡って延々と命が受け継がれて生きてきたのだから、これぐらいの問題は大丈夫と自分に言ってあげる。

 

人生は他力と自力の両輪で動いている(FFの車に例えると、左側のタイヤは自力で進み、右側のタイヤは他力で進んでいる)。自分だけの意思でどうにかなるのは半分、残り半分は他力や他人の縁等で、どう動くのか?は未確定。そんなわけだから、自分の人生が自分で思い描いたように進むとは到底思えない(先のFFの車に戻すと、左のタイヤの回転速度と右のタイヤの回転速度が一致しないので、ハンドルを持っていても思う方向には決して進めない。最後どこに辿り着くのは誰も分からない)。無責任ではいけないけど、いろなこと(嬉しい事、悲しい事、辛い事 etc)が向こうからやってくると思っておくべき。だけど、それは自力だけでどうにかできるものではない。うまくいけばもうけものぐらいに考えておくべき。自分の責任でどうにかしなくてはとあまり気負うべきではない。なるようになる、、と考えるべき

 

自分が何のために生きているのか? まずは生きるために生きているのだが、、56歳になって、多少は人のためになりたいと思っている。すくなくとも他人のQOLを下げない。もしできるなら、他人のQOLが少しでも上げるお手伝いをできたら。

 

人生というのは結局のところ、いろんな事を経験するのが目的なのではないか。楽しい事や辛い事が向こうからやってくる。自分はそれを経験して味わう。日々いろんな出来事に出会い味わい、そして死んでいく。それだけのこと。それ以上に人生に特別な意味はないのではないか。