yzb’s diary

仕事と禅と病気(ガンサバイバーです)

無意識とのつきあい方

あれこれ先のことを心配してしまってしんどくなることがある。本には「あまり考えすぎないようにしましょう」とか書かれている。この説明だと、意識すれば心配事が減るような印象だけど、、心配な気持ちとは無意識の階層から湧き上がっているように思える。例えば、日曜日の夜はそれほど気持ちも重くなかったのに、朝起きるとなんか気が重いとか、、意識して今日の予定を考えたわけでもなく、すでに気持ちが重いということがある。

そもそも心配とは、その発端は無意識から湧き上がっていて、心配になっている自分に気づいて、意識のレベルで心配を始める。。そんな解釈をしています。だから、、考えすぎでしんどくなる。。結果としてはそうかもしれませんが、発端は無意識なので、考えすぎないように意識すれば心配事が軽くなるというのはちょっと違うのではないかと(心配な気持ちは無意識からどんどん上がってくる。意識して抑えることはできない)。

無意識のレベルから勝手に心配事や不安な感情が湧き上がってくるのはしょうがないとして、「ああ今自分は不安になっているな」と気づいたらどうすればいいか??自分は以下の手順で対応しようと思っています。

  • 心配している自分、不安になっている自分、しんどい自分に気づいたら、その気持ちを押し込めずにあるがままにする。
  • 無意識に耳を傾ける。耳を傾けても何も聞こえてきませんが、、そういう姿勢が大事なのではないかと(ここは推測)
  • 「しんどいんだね、心配なんだね」と自分で自分に言い聞かせる。自分は分かっているよと自分に伝える。(意識レベルから無意識レベルへの返事なのかも(よくわかりませんが))
  • 「よくやっているよ、頑張っているね」と自分をねぎらい、いたわってあげる
  • 「これまでどうにかやってきた。今回もどうにかなるよ」と安心の言葉をかける。根拠のない楽天主義でOK!(心配しても結果良くならないので(前もって課題への準備は意味ありますが、強すぎる不安や心配の感情は不要))
  • 「もうどうしようもない、だめな自分だ」とか、自分で自分を否定しない。もっと心配になるような事は言わない。(無意識のレベルと、意識のレベルの両方で、一緒になって不安を盛り上げるようなことはしない)
  • ていねいに息をする、手をすり合わせたりして手のひらの感覚に集中することで、ばらばらになりがちな心身を整合する(意識して操作できる体の動き(特に呼吸)や皮膚感覚を経由して無意識に近づこうという作戦)
  • 心に栄養を与える。自分が考える心への栄養とは、、部屋から外に出て外の空気に触れる、聞こえてくる音に集中する、空を見る、きれいな景色を見る、緑にふれる、森の中を散歩する(風の感じや鳥の声、木のにおい、光の当たり方、足元の土の感覚、そういった、五感を通して入ってくる情報に集中する)、おいしいものを食べる。。これらの皮膚感覚や内臓感覚が無意識に対して栄養を与えてくれると思っています。

いろんなことがあってしんどいけど、動けなくなる前の対策として、、

  • 意識のレベルでは、体の感覚に意識を合わせる、心の半分以上を体の感覚に向ける
  • 無意識のレベルでは、湧き上がってきた気持ちを受け止めて声をかけてねぎらう、意識して心の栄養を与える

この両面でなんとかやってくる課題を、いなしながらやっていこうと思うのでした。