大和 ハジメさん作の、「交通事故で頭を強打したらどうなるか?」を読んでいます。本にもなっていますが、以下のサイトから読むこともできます。
自分があれこれ書くより興味のある人は大和さんのホームページで公開されている漫画を読んでいただくとして、、漫画の中で、あぁなるほどと思ったのが、9話 「ナースコール」で、
http://anbox.hinami.net/kad/kad9.html
大和さんが目覚めて意識を取り戻すシーンです。そこで、、
「 私の中に脳という器官があるのではない。脳の一部の機能として私が存在するに過ぎない」
と述べられてます。人体の成り立ちからすればそうなんでしょうけど、普通に生きてると我々は逆に認識していて、自分の中に脳がある。すなわち、意識(私)が上位にあり、意識のもとで体や脳が動いていると捉えていると思います。多分これが生きづらさの始まりなのではないかと思うのです。多分。。
体はマンションのようなもので、意識(私)とはマンションの一室で居候させてもらっている。。そんな位置づけが正しいのではないか。マンションは動かないのでちょっと違うか。自動運転の車に乗っているドライバー?自分でハンドル握ってるつもりだけど、実は自動運転されていて、ハンドルはどこにも繋がっていない。。それはまた極端か。
言い例えが浮かばないけど(言い換える必要もないけど)、まず体ありきというのをいつも自覚しないとだめなのでは?と改めて思いました。”まず体ありき”とはどういう意識で日々を送ればいいのかちとまだ分からないけど、、何かあるごとに、体と対話するということでしょうか?体がどういう信号を送ってきているかを聞き取る、そういう時間をもっと増やすべきなのかも。