yzb’s diary

仕事と禅と病気(ガンサバイバーです)

坐禅をして気づくこと。。無色透明な心

なかなか時間がとれず、毎日座ることができていないが、ひさしぶりに30分ぐらい坐った。そこでいつものように、姿勢を正して、呼吸を正して、心を落ち着けていた。。
そこで気づいたのは、、心とは本来無色透明なもの。。そして少し甘い*1
にもかかわらず、以前なにか起こった事やこれから起きそうな事をひきずって、自分の本来の無色の心に色付けしてしまっている。。今、まさに、今、それが例えば、川の中だったりするとそれは本当に大変だけど、何もせずに坐っている。こんな平安な時間であるにもかかわらず、昨日のできごとや明日の心配をして、今という時間を濁らせる、、それは自分の考え方やアプローチのまずさ、癖のまずさ、、そういった事が原因だとつくづく痛感する。

いつも自分の心は透明か??、昨日や明日のことを今というこの瞬間にひきずりこんでいないか??いつもよく考えないといけないなと思ったのでした。

そして、今この瞬間というのは、実は日々変わっていて新しく、決して延長なんかではないのではないか??例えば、からだを構成する細胞だってどんどん作られている。少なくとも自分を構成する物質は入れ換わっている。。自分も日々変わっているし、時間も作られている。。のではないか?そんな真摯な態度で二度と戻らない今という瞬間を送っているだろうか。。

*1:これは実感。神経症などのせいかしんどい時もあり、そういう状態から抜け出ると心って少し甘い、、あるいは、少しわくわくしているのが普通の状態なんだと気づく