yzb’s diary

仕事と禅と病気(ガンサバイバーです)

小池龍之介氏;「自分」を浄化する坐禅入門

「自分」を浄化する坐禅入門

「自分」を浄化する坐禅入門

小池氏(といっていいのかどうか)の本は2冊ほど読んでいましたが、坐禅を単に無になるという抽象的な修行から、テクニックとして捉え直して、具体的なステップで説明した本。

まだ最初の2ステップ目ぐらいですが、少なくとも、考えるな!観察しろ!という取り組みには心から共感できます。会社のお昼休み、会社の回りを散歩するのですが、仕事の事は考えず、歩きながら、歩みに合わせて右左右左右・・と心のなかでブツブツとつぶやいています。するとすごく退屈にもなるのですが、早く戻って仕事をしよう!という自分の前向きな気持ちに驚いたりします。

ただその一方で、目的を持って坐るアプローチなので、下手をすると禅病になりかねないのではないか??というのがちょっと心配です。本のなかでも手に負えなくなったら月読寺の坐禅会に来てくださいとかあるし。。

■追記 100529

この本には実際かなり救われました。具体的には、今を置き去りにして過去や未来を考えることは悪い事で、えてして人はそういう行動に出てしまい、自分を不幸にする、だから、今に集中する、どうやって集中するか?呼吸に集中する、さらには、鼻、喉等、空気が流れている所に集中する。。
また、歩く時も、集中する、観察する、考えない、、

実際そうやって言われたとおりに、坐禅したり、歩いたりすると集中できて、また、仕事を離れて考える事はほとんど何も得られないということに自分でも納得させて、全く考えないようにしました。このような結果、自分自身、仕事の課題で押しつぶされそうになっている所が、かなり楽になりました(その一方、仕事自体も別の問題で携わっているプロジェクトが一旦中断しているようなところもあるが)。

ただその反面、本来坐禅は目的を持たずに、只坐る、これが全てという教えで、自分もこの教えに深く共感していました。ただ、素人が無になって坐る事が本当に可能かどうか、無になったつもりで、ただボーっとしているだけなのでは?とも思えます。少なくとも、これまで自分が坐ってきたやり方では自分を楽にすることはあまりできず、小池さんの書かれたやり方で、かなり楽になりました。

つまり、、只坐るという教えは自分に合っているのか??それとも、我流だから言葉尻だけを捉えて分かったつもりになって、単にボーっと坐っているだけだったのか。。

もっと研鑽を積まないと答えは出ませんね。。