yzb’s diary

仕事と禅と病気(ガンサバイバーです)

からっぽの心をどう埋める?

かなりましになりましたが、昨日の夜は、自分の心がからっぽ(何もやる気が出ない、否定的な気持ちで一杯、何か悲しい、飢餓感?喪失感?etc)な感じが非常に強く、寝る気にもならなかった。結局最後は睡魔に満たされて4時頃寝たのだった。。眠りたいという原始的な欲求で自分を満たしたというか。。

からっぽな自分に苛まれる時どうしたらいいのか??

  • 一つの方法は、何か別のもので代用してごまかす、とにかく見えなくするという手段。。。酒とか買い物とか、忙しく毎日を過ごすとか、、あるいは、TVをボーっと見る? 
  • もう一つは、別の物で穴を埋める(穴にエネルギーを供給する)。。音楽とか人とお話する(してホッコリをもらう)。体を動かす。美味しい物を食べて心を満たす、何か難しい事を達成して自分の心に褒美をあげる(かなり変態ですが)
  • 最後の一つは、ジタバタせず、そのままにして、穴をよく見る、よく味わう、飢餓感に浸る。。
  • 究極は、そんな自分自身を突き放して捨てる(放出する)。これは禅ですね。。はぁ。。

究極は論外として、最後の一つはとても辛い。根性がないと浸るなんてそんなことできない。我慢できず何か別のもので蓋をしてしまう。。それは普段の自分だ。二つ目は音楽で穴を埋めるという方法もある。。ガラにも無いけど、モーツアルトの音楽はこの穴を埋めるのに結構いいのでは?と思うに至った。モーツアルトファンの方や、モーツアルト様(?)にも申し訳ないけど、変な物で埋めたり蓋をするぐらいなら、穴に音楽をいっぱい突っ込んだ方がまだましと思える。。

昔、産業医の先生に心に穴があいてるといわれたが、この穴は単なる穴ではなくて、心のエネルギーがここから漏れているのでは?とも思える。。対策は穴に栓をするか(これはかなり難しい。。)、穴から漏れる以上に心にエネルギーを注入するか、、どっちかしかない。うかうかしていると、からっぽになる。

ではこの注入するエネルギーとは何か?? 多分、何かをしたいという思いだと思われる。あるいは、感謝や喜びの心だろうか。。「したい」のは何でも良くて、散歩したい、外に行きたい、料理を作りたい、掃除したい、人と会いたい、買い物したい、金儲けしたい、人のために役立ちたい、なんでもいいから、〜〜したいという思い、、これがエネルギーの元と思える(補足で行儀よく言えば、感謝と喜びの心も可)。常に〜〜したいという思いで生きていないと、止まると、穴からエネルギーが漏れて、ガス欠になる。これは一種のサメのような状態で、泳いでいないと酸欠で。。。という感じだろうか。。

鮫のような人生って一体なんだろうか。。笑ってしまうが。。

とにかく、ネガティブな心はダメだ。それ自身がエネルギーを喰ってしまう。××はダメとか、××は腹が立つとか、××の野郎とか、何で俺は××なんだ?とか、、なんでもとにかくネガな気持ちを膨らせてしまうと、そいつがエネルギーを食うので、そういう気持ちが湧き上がってきたらなんとか押さえ込まないといけない。でも無理して押さえ込むとこれがまた地下に潜ってマグマみたいになって、ややこしくなる。無理やり押さえ込むのではなくて、粉々に散らせたら一番いいのだろうけど。。そこはやはり拘らない無の心なんだろうか。。

子供たちはこの心の泉があるのでは?とも思える。こんこんと湧き出る泉。。それは多分心のエネルギー。。それが大人になると段々枯れてくるというか、いろんなしがらみや苦労や間違った心の持ち方で枯れさせてしまうというか、濁ってくるというか。。。枯れかけている泉をもう一度掘っていかねばならないのかも。。自分の場合、かなり少ないように思える。少なくても出続けていればまぁいいのですが。。穴がでかかったら間に合わない。。