yzb’s diary

仕事と禅と病気(ガンサバイバーです)

長期休暇に入ると精神が不安定になる

まったく個人的な話でしかなく*1、本来は自分のメモ帳にでも書いておくことかもしれませんが、Hatena Diaryに書けばまた読み返す事もあるだろうと思いメモとして書きます。正月休みはどうも気分的にしんどくなることがある。一昨年はなんか気分がすぐれず、家族には体調が悪いと言って、一日寝ていた。去年はどうだったか忘れた。今年は、休みの最初は浮かれていたが、翌日は、妻の些細な言葉に引っかかって喧嘩になってそれからどうも気分がすぐれなかった(俺は何のために生きてるのか?自分がこれほど我慢してることが分からんのか?etcとウジウジ考えていた)。

でも過去を振り返ると、結婚していない頃ですら、山を歩いていて、気持ちをボーっと緩ませると正体不明だが漠然とした不安にかられる事があったことを思い出した。つまり、、仕事という重圧で心のバランスが取れているのだけど、仕事の重圧が少しゆるむと、途端に、心の奥から何かが上がってくるというか、自分自身を見つめ始めると、すごく不安になるというか。。あるいは、今いろいろ課題を抱えている仕事を休みということで心から放り出した事自体に不安を感じている??? 今回グジグジとやっているのも、イライラする原因は一見すると妻や子供とのいさかいなんだけど、実はそれは表面的なものでしかなくて、原因の奥底には自分の心の問題があるのでは?と思うに至った。

不安が詰まっている心、あるいは、空っぽの心をなんとか埋めようとしていつも何かに夢中になろうとしている、とある何かに満足すると、次にまた夢中になる物を探して移って行くという自分の間違った生きざま(「満足志向の生き方の問題点」という記事で記載)になっている背景ではないか?と思える。それは産業医の先生が言っていた、「仕事中毒の人(=当時の自分)は、心にぽっかり穴が開いてるのですよ」という、穴を埋められない自分の心の問題なのではなかろうか。日ごろは仕事がしんどいとか言いながらも仕事の事が心にどっかり居座っていた。でも仕事の事が一時心からはずれると、今度は自分自身が見えそうになって、途端に何か不安になっているのではないか?それは自分とこれまで向き合ってこなかったから??だらか不安になるのか?? 坐禅とかしていてもやっぱりそれは自分とは向き合ってるのでない???

今年の夏休み、来年の年末にまた同じように、気分がすぐれなかったり、なんか塞ぎ気味になったりした時、この記事を読み返して、なんとかうまく乗り越えたいと思うのだった。

■過去関連記事
満足志向の生き方の問題点 http://d.hatena.ne.jp/yzb/20090410


■補足(100123)
どうもこれは、休日神経症と呼ばれる症状で、休みになっても仕事のことが頭から離れず、かえって休みの方がしんどくなる状態のようだ。ようするに、仕事に侵されているというか仕事人間というか。。とにかく自分の弱さですね。。仕事は会社だけと思えばいいのだけど、、仕事がうまくいってなかったり、気になる課題から逃げていたら、なかなかそうは思えない。

*1:そもそもこのブログ自体が