yzb’s diary

仕事と禅と病気(ガンサバイバーです)

悟りの境地を想像する

自分は特に先生について修行しているわけでもなく、辛い仕事から逃れたいという気持ちで、心を静めるため、深い呼吸をして座っている事がある。また、ブルーマンデーの通勤時には、心を静めるため、呼吸に意識を合せてつり革に掴まって立っている(ぼーと立っているとヨロケルので)

そんな程度ではありますが、そうやっていると心が静まる時があって、仕事の辛さやプレッシャーというのが、自分が作った一面(あるいは、考えすぎによる妄想)であったりする事に気づく時がある。

濁った水が少し澄んでくると、今自分がこの世に居るという事に対するありがたさを感じる時がある。(生きてるだけで儲けものという感じ)低俗な自分が言うのも何だが、悟りの境地と言われる心境の一解釈として、生きている実感に到達して嬉しさを得るとか、理屈ぬきの有難さを実感するということではないか?と思われる。もっと先のさらに深い悟りもあるんでしょうけど。。

本来は、我々人間は生きてるという嬉しさ、それだけで満たされているはずなんだが、どうしても日々の悩みや責任、置かれた立場、世間体、etcによって、自分自身が見えなくなっている。時として、いつまで自分は生きるんだろうか等と、誠にバチアタリな事を考えてしまう。

いつか本で読んだ、「自分は自分の王様である。誰からも侵害されない」というのが少し分かる。。が!辛い事があったり、情けない事があったりすると、そんな気持ちもどこかに消えてしまう。

日々の些細なこと(心配事、欲望、etc)に自分の心(あるいは、気持ち)は反応してすぐに目が霞むのだが、自分の心の手綱をしっかり握って、勝手にあちこち走っていかないようにしなくてはならない。。がそれが難しい。。