yzb’s diary

仕事と禅と病気(ガンサバイバーです)

自分の生きている時間を心配したり腹を立てる時間に費やしてはいけないということ

仕事の事が心配になったり、人との関係で疲れてくよくよしたりすることがあるのだけど、自分は心配性なのだといわれる。あるいは、物事を悪いほうに考えすぎとも言われる。
心配性の人の癖とは、過去に大変な状況を経験をして、あるできごとに出くわすと、それが発展してまた同じ大変な結果に至るのでは?と強く想像してしまう事らしい。心配性でない人は、先のことを考えても悪いほうにバイアス(マイナス方面への思考の偏り)がかからないか、あるいは、、物事のプラスとマイナスの両面とらえてバランスよく考えられる人なんでしょう。多分。
最近出た本で、「心配事の9割は起こらない(枡野 俊明氏著)」というのがありまして、たいていは想像するほどには最悪の結果には至らないのに、心配性の人(自分なんだけど)は起きるに違いないとあれこれ想像してしんどくなってしまっているのだと思う。

そんな時に、少し坐ってみると、心配な気持ちってのは心の薄皮でしかなく、その奥にもっと深くて広い心の領域があるように思える。心配という心の薄皮を自分の妄想で拡大して、ああ心配だ、しんどいという気持ちに浸っているだけと思えてくる。そんな風にちょっと客観的になれることもあるけど、しばらく経つとまた堂々めぐりだ。心配な気もちが膨らんできたら、(自分の気持ちを無理に押し殺すとさらに良くないので、心配している自分をありのままに受け入れつつ)心配事に注意が行くのを止めるようにしている。。

自分にとってのスローガンは、、

  1. 人生の時間を心配したり腹を立てたりすることに使ってはいけない。せっかく生まれてきたのだから、生きている事を実感し、感謝したり、喜びを感じることに使うべき。
  2. 心配は自分の心が作り出すものであり、自分をとりまく環境のせいではない。物事の捉え方一つ
  3. 仕事やプロジェクトは心配される事を望んでいない。人に心配されるより、課題の対策が打たれることを望んでいる。心配しても行動が萎縮したり、可能性を摘んだりしてしまい、仕事の結果はむしろ悪いほうに傾く。よって、心配するという心の働きは何のプラスにならない。

というものです。頭では分かっていても体がそうはなっていない。じっとしているとどんどん心配が膨張するので、そんな時は外に出てちょっと歩くのがお勧めです。歩く時は、足の送りと呼吸を合わせて、歩くことに集中する。(右左右左の足の4歩で息を吸って、次の右左の4歩で吐くといったように、歩みと呼吸を合わせる。歩く行為と呼吸する行為で頭と体を一杯にして、心配する気持ちを追い出してみる)。あるいは、外に出られない時は落語なんかを聞いてちょっと笑ってみるのも助けになると思います(落語の世界に浸って笑っていい息をする)。